特にネタもないが更新のタイミングなので。
今日はついてなかった。いつも通勤するとき開かずの踏切を通るのだが、
今朝、そこを通るとき、珍しく開いていた。
が、遮断機が鳴り出して、2小節くらいで滑り込んだがら
こけて左ひざを擦りむいた。スーツに穴が開いてダメにしてしまった。
もらいもんだが。
穴あきズボンで一日を過ごすのかと思うとテンション低くなって
落ち込んでいたら電車が遅延しやがった。
遅延するなら無理やり急いで踏切に滑り込むことなんてなかったのだ。
乗ってたら、ぎりぎり登社時刻に間に合いそうである。
ウチの部署は遅刻は申告制なので、別に遅延証明を出さなくてもよい。
だが、そのシステムが逆に誠意を試されるのであって、
朝方の通勤電車はたいがい遅延するが
「時間的に、遅延を折り込んで通勤せよ」
というのが暗黙の了解となっているのである。
会社の最寄駅で駅そばの朝食をとるつもりで、胃に何も入れず出てきたのだが、
駅そばどころか、会社ビル前の公園で煙草を一服する暇もない。
午前中、エネルギーは内臓脂肪に蓄えた分しか使えず、やたらな疲労感。
いつの間にか朝飯食わないとダメな身体になってしまった。
いや、朝飯はいいのだがコーヒー飲めないのはつらい。
ブルーな気持ちで過ごして、帰りは、あまり仲良くない同僚とタイミングが被る。
適当な世間話。できるが、やりたくない類の行動。
仕事の愚痴を聞かされ
「なら会社やめろよ。仕事なくても年金で食えんだろ」
と言いたかったが、それを言ったらおしまいなので、支障が出ない程度に共感を示す。
帰りの電車内は格好の勉強、しかも暗記モノ・タイムだが、ついてくる同僚に時を奪われる。
仕事してりゃ満足な奴の相手もしたくない。
夢なんて見ないが、前進している感触がほしいのである。その数分が積み重なって実力となる。
メリハリなんである。サボるときは一日サボるし。
最近、昔の人間嫌い癖が戻ってきている。
前の職場の人間から、「今週末あそぼうぜ」的なメールをいただいたが
返事すらしたくない。いらないコネである。
儲かるとか儲からないとかそんな理由で人間関係を構築してはいないが、
「付き合うと明らかに損」な人とはやはり、距離をおいてしまいますね。
その人もこのブログときどき読んでますが。空気読もうね。土曜の朝9時集合とか、ありえないから。
店どこも開いてねーし。だいいち私は午前中が嫌いだ。
同級生とか、昔からの友達とつるんでいるのは、
実は「害をなさない」からという側面もあるのですね。
気まぐれな私をずいぶん理解してくれて、デリケートな関係を保ってくれているから。
頼られるのは好きだが、利用されるのは嫌いなんですね。
あくまで自由意思で蹴りをつける問題。
ヒマつぶしなら自分一人でやれよ、と思ってしまいます。
自分一人で無限に遊べるのが「教養」というものです。それがわからないのかな。
さびしいとか言ってんじゃねえよ。携帯とかネットとかで気軽につながれるくせに。
あてにすんな。おめえのかなう相手じゃねえ。とか、黒くなってしまいます。
ここのところの生活は完全な90年代リバイバルで、
仕事でも平成ひと桁時代の新聞や雑誌をひたすら調べる作業をしているし
帰ってから読む本も、聴く曲も、観る映画も、遊ぶゲームも、だいたいは90年代産。
自分としては「ちょっと前」くらいの感覚なんだけど、その感覚こそが時代錯誤なんだろーな。
「90年代は良かった。00年代はクソだ。」と「レスラー」な気持ちになってしまいますよ。
「90年代に付き合った彼女たちは、はたしてどうだったのだろうか」
と引き出しから写真やらプリクラやら見つけ出そうとしたが、
昔、付き合った女の子の写真は、別れた当時、私はよっぽど気分悪かったらしく
ほとんど燃やしてしまったようだ。もったいねえ。モテキの証明だったのに。
まあもともと写真嫌いだしな。それにしてもエッチな写真ひとつくらい出てきてもいいのに。
中学生の時のおかずはでてきたんだけどね。
ビデオ見ながら「あー。当時、このシーンでいっぱいしごいてたなー」とか懐かしい思いをしてしまった。
いまではインポスチャーとは詐欺、的な。
なにしろ声だけで行けてたのはなつい。
テレフォンS○Xというものがかつてありました。常習犯でした。
今じゃ考えられん。情報量少なすぎだよ。そういえばe-roticとかなんとかってユニットあったな。ドイツかなんかに。
ビリーボーイとか聞きながら、私は生派でした。悲劇はあるが。
平日は仕事して野球見たら終わっちゃうなー。
あと、金環日食の見れる時間帯は、ちょうど仕事にベッドから起きるころだということで
フィルタを買い求めてみたが、いまさらどこの店もおいてない。
まあいいや。肉眼で見たる。

